第45話 日本で活躍した外人レスラー 不沈艦と呼ばれた男
こんにちは、沖太郎です。
最初に応援ポチお願いします。
私のスタン・ハンセンに対しての印象ですが、
暴走すると誰も止められないくらい破壊力があったレスラーと
いうイメージが、ありますね。
あの大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントとも互角に戦えるレスラー
といえば、やはりスタン・ハンセンでしょ!
数多いですね。
日本で、最も成功したレスラーだと思いますね!
プロフィール
1949年生まれ
身長 193センチ
体重 135キロ
デビュー 1973年
スリーパーホールド
アメフトの先輩であったテリーファンクからスカウトされ、プロレス入りしました。
1975年初来日し、全日本プロレスに出場するが、あまり目立った存在では
なかったようです。
首折事件の真相
1976年 WWWF世界ヘビー級チャンピオンのブルーノ・サンマルチノを
ボディースラムで首を骨折させてしまう。
サンマルチノは、2か月間欠場することになる。
戦力を失ったサンマルチノは、その後タイトルを返上しました。
ハンセンを使いつづけましたが、ファンは、「何故サンマルチノを怪我さして、使うのか!」
と抗議が、多く殺到しました。
契約期限も切れる頃にハンセンは、実は、サンマルチノの提案で、
新日本プロレスに行く事になりました。
世間のいう遺恨は、二人の間には、ありませんでした。
この事件がきっかけでハンセンの株が、上がり1977年新日本プロレスに
登場しました。
AWA世界ヘビー級王座、NWF世界ヘビー級王座、PWF世界ヘビー王座など
獲得してしています。
1981年 田園コロシアムでのアンドレ・ザ・ジャイアントの試合は、
名勝負として語られています。
新日と全日の引き抜き合戦が、激しくヒートアップして、全日本プロレスに
戦場を移しました。
ジャンボ鶴田とは、新人の時からの旧知の仲だったようです。