第50話 日本で活躍した外人レスラー 狂犬と呼ばれた男とは?
こんにちは、沖太郎です。
最初に応援ポチお願いします。
「昭和のプロレスは、面白かった!」シリーズもとうとう50話まできました。
皆さんここまでお付き合いいただきありがとうございます。
これからも色々なレスラーの活躍・意外な素顔を取り上げて100話まで
頑張っていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
SHOPBOP セール中 ">では、今回ご紹介するレスラーは、かなりの実力の持ち主でありながら
あまりタイトルに執着しなかった狂犬と呼ばれた男です。
ディック・マードックという名は、聞いたことありますか?
1946年~1996年(49歳)
身長 190センチ
体重 126キロ
デビュー 1965年
得意技 垂直落下式ブレンバスター カーフ・ブランディング
ファンク道場に入門 ドリーファンク・ジュニアとは、幼なじみです。
新日本プロレスと渡り歩いた数少ない外人レスラーです。
来日回数は、なんと54回です。
1980年 ジャンボ鶴田と戦いUNヘビー級王座を奪取しています。
覆面レスラー「ザ・トルネード」に変身し、ザ・デストロイヤーと
覆面10番勝負に出たこともあります。
覆面が気にいったようで、新日本プロレスで、アンドレ・ザ・ジャイアントが、
ジャイアントマシーンになったのを見て「俺もマシン軍団にいれてくれ」
といったエピソードもあります。
晩年は、プロレス復興を望んでいましたが、1996年心臓麻痺で急死しました。
エピソード
本人はあくまでマイペースな活動を続けた。酒、特にビールがお好きだったようで
サインの時は、横に、好物として『beer』と書き加えたこともあったようです。
で店を出て、ホテルに帰るのかと思いきや、うどんが食べたいと言ったが
夜なので店が閉まっていて見つけた屋台のラーメン屋で生卵を2個ずつ
落としたラーメン4杯を平然と平らげたという逸話が古舘の自叙伝に記されている。
焼き鳥が好きで、銀座の裏通りに行きつけの焼き鳥屋をもつほどの日本通でした。
ディック・マードックとブルーザ・ブロディの試合 1985年