昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第52話 日本で活躍した外人レスラー 吸血鬼といえば?

 
こんにちは、今回は、今までの流れから逆に歴史を振り返る形に
 
なりました。かなり往年のレスラーで、かみつきで、相手を血だるまに
 
した印象があります。引退後は、敏腕マネージャーに変身しました。
 
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プロフィール
 
1918年~2003年(85歳)
 
 
身長   178センチ
 
体重   100キロ
 
デビュー 1935年
 
得意技  ネックブリーカー  かみつき攻撃 クローホールド
 
 
精肉所で、働きながら、トレーニングを積み、レスラーとして
 
デビューしました。
 
 
 
1961年 エドワード・カーペンティアからNAWA世界ヘビー級王座奪取
 
1962年 日本プロレス第4回ワールド大リーグ戦に初来日
 
6人タッグで、グレート・東郷をかみつき攻撃し大流血 この時 テレビの
 
生中継中で、これをみた11人の老人がショック死する事件がありました。
 
当時の日本テレビのプロデューサーが、国会に呼び出される事態になりました。
 
ブラッシーは、この時のテレビインタビューに「おれは、100人殺す予定だったんだ!」
 
と豪語していましたが、テレビ中継のない所では、かなりショックを隠し切れず、
 
亡くなった人に手を合わせていたそうです。

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フレッド・ブラッシーのかみつき攻撃
 
 
エピソード
 
かみつきのパフォーマンスで、大きなやすりで、歯を研いでいましたが、
 
あれは、力道山のアイデアで、できるだけ派手にアピールするように
 
助言したのです。
 
研いでいたのは、差し歯で、実際に使用していたのは、女性用の柔らかい
 
爪切り用のものでした。
 
 
また、かなりの親日家で、日本人の奥さんと再婚されています。
 
レスラー引退後は、マネージャーとして1976年 猪木の異種格闘技戦
 
モハメド・アリスペシャルアドバイザーとして同行しています。
 
その後、スタン・ハンセン ハルク・ホーガン アドリアンアドニス
 
などのスターを輩出し、アピールの仕方をアドバイスしていました。