第66話 日本人で活躍したレスラー 筋肉マンをモデルにした男とは?
こんにちは、昭和のプロレス大好きなトンチーです。
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今回は、当時漫画でも有名だった筋肉マンをモデルに新日本プロの企画
した日本人レスラーがいます。ご紹介します。
彼のリングネームは、スーパー・ストロングマシンと言います。
実写版となると、漫画のイメージより強そうで、ダーティーな感じ
がしたのは、私だけでしょうか?
プロレスマニアの私は、正体が、誰か体型からして、わかっていました。
プロフィール
本名 平田 淳嗣
1956年12月20日生まれ(63歳)
神奈川県 平塚市出身
身長 183センチ 体重 115㌔
デビュー 1978年 引退 2018年
得意技 魔神風車固め マシンラリアット DDT
ジャーマン・スープレックス
ニックネームは、戦慄の殺人魔神
若手の頃は、なんでもこなす万能型レスラーで、華麗なジョージ・高野
過激な前田日明、パワーの平田の三羽ガラスを全面にアピールします。
彼の息子もマスクマンレスラーとして活躍しています。
タイトル歴
アジアタッグ王座 1回(阿修羅・原)
エピソード
若手の頃、飲みに行った帰り、合宿所のトイレに間に合わず
廊下に大グソをたれた失態がありました。前田は、高野の仕業だと
思い問い詰めるも「俺じゃない」と否定、高野は、「お陰で、うんこ
踏んじゃった」言い隣にいた平田が、「すまん、俺だ!」と告白
新日で、当時人気のあった筋肉マンをモデルにした企画があがる。
もともと平田に打診が来た時乗る気が、しませんでした。
メキシコ武者修行の後平田として、凱旋帰国する予定でしたが、
この時の企画の反響が、大きく味を占めて自らマスクを注文し
スーパー・ストロングマシンが、誕生します。
当時まだ、試合運びが、ぎこちなくマネージャーのワカマツの存在は、
大きかったと平田は、後に言っています。
後に増殖し続けスーパー・ストロングマシン3号・4号まで登場します。
2005年7月13日 日本マクドナルド
アンドレ&猪木対ストロングマシン1号・2号の試合
猪木のセコンドに若かりし頃の蝶野が、映っています。