昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第68話 日本人で活躍したレスラー  サムライ・シローとは?

 
こんにちは、昭和のプロレス大好きトンチーです。
 
 
今回は、全日本プロレスから新日本プロレスに移籍した越中選手
 
についてご紹介します。
 
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越中詩郎40周年記念
プロフィール
 
 
1958年9月4日生まれ(61歳) 9月3日という説もあり
 
東京都江東区出身
 
身長  185センチ  体重  105㌔
 
デビュー  1979年
 
 
中学時代は、音楽に熱中したが、曲作りに必要ないいアイデア
 
ない為断念。高校時代は、野球に没頭するも団体競技でなく
 
自分一人で、責任をもてる競技に興味が変わっていきました。
 
高校時代の野球部の監督を通じてジャイアント・馬場を紹介されて
 
1978年7月に全日本プロレスに入門しました。
 
馬場から、100㌔を超えたら海外遠征をさせてやるという約束もあったが、
 
試合で、なかなか結果がでず、245戦目にしてやっと初勝利を挙げます。
 
 
運命のライバル
 
 
1981年8月にあの三沢光晴のデビュー戦の対戦相手になる。
 
これは、当時前座の黄金カードとして注目されました。
 
1984年3月には、ルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢を破り優勝
 
その後三沢と共にメキシコに遠征しサムライ・詩郎として活躍
 
 
 
 
 
 
その年の4か月後馬場から、三沢を日本に帰せ!チケットを送るから
 
空港まで、送るように命じらました。
 
越中としては、三沢が、タイガーマスクとして華々しく凱旋帰国
 
することに危機感を覚え1985年2月坂口征二氏の誘いで、ハワイで、
 
巡業をしていた新日本プロレスに合流、移籍となりました。
 
 わたしが、いつもワクワクできるもの実は、BMTSプログラムを学んだお陰です。
 
貴方にプレゼントがあります。

 
 
 
 
全日本プロレスは、縦社会、新日本プロレスは、体育会系のような
 
のりの感じ、風呂に入る場合でも全日は、馬場さんがあがるまで
 
他の選手は、絶対に入浴できない風習でしたが、新日の場合は、
 
試合が終わった順番から、入っていく事が出き、全日の癖が残って
 
いた越中は、いつまでもウロウロしていると猪木から
 
「ウロウロしてんじゃねぇ!早くシャワー浴びろ!」と注意され
 
ました。
 
1992年12月14日 大阪府立体育会館
 
越中対天龍の試合