昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第79話 昭和のプロレスは、面白かった!レフリー編


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沖識名



こんにちは、昭和のプロレスをこよなく愛するトンチーです。
 
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今回は、角度を変えて歴代のレフリーをご紹介します。
 
私が、記憶しているのは、小学低学年の頃、TVで、プロレス中継を
 
見ていますと、白いTシャツのおじいさんが、レフリーをしていたのを
 
覚えています。
 
沖識名というレフリーをご存ですか?
 
 

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若かりし頃の沖識名
 
プロフィール
 
 
1904年7月6日生まれ(79歳没)
 
本名     識名 盛夫
 
リングネーム 沖識名

沖縄出身
 
元プロレスラーで1932年デビュー
 
引退    1973年
 
タイトル歴  NWAハワイジュニアヘビー級王座
 
 
元々レスラー歴があったとは、知りませんでした。
 
昭和40年(1965年)当時61歳でしたから、やはりかなりおじいさんに
 
見えたのも今から思えば不思議な感じがします。
 
 
公平なレフリーしてる?


力道山、馬場、猪木、豊登、吉村など、当時の蒼々たるメンバーの
 
レフリーをしましたが、納得できない、えこひーきをしていたと
 
思う試合がところどころあったと思います。
 
というのは、スリーカウントをする時に勝って欲しいレスラーには、
 
早くカウントし、負けて欲しいレスラーが、ホールドした時は、
 
ゆっくりスリーカウントをしていたのが、はっきりわかりました。
 
 
 
 
プロレスは、八百長
 
 
プロレスは、ショーですが、アンフェア―な審判は、納得できません。
 
だから、当時のプロレスが、八百長呼ばわりした引き金にもなりました。
 
今でもプロレスが、八百長と思う方が大勢いると思いますが、私の考えは、
 
少し違いがあります。
 
たしかに、ファンに楽しんでもらうため色々と工夫をして、ファンに
 
納得してもらう試合をしないといけないのは、プロとしての信条である
 
と思います。
 
一般の人からするとスーパーマンでないといけないのです。
 
その為には、日頃から、血のにじむようなハードな訓練に耐えて
 
強靭な肉体をきずくからこそ、怪我、骨折に耐えられるのだと思います。
 
だからこそ、あのような飛び技、寝技にも耐えれる事ができるのですよ!

そこをわからないで、単純に八百長というのは、短絡すぎますね。
 
鍛え上げられた肉体は、嘘をつきません。
 
強い人は、それだけの肉体鍛錬、努力を怠っていません。
 
 
エピソード
 
 
 
1965年(昭和40年)沖識名は、拳銃不法所持で逮捕された経験があります。
 
その留置場で、「プロレスは、八百長だろう?」と若いチンピラにからかわれ
 
自分が、命をかけたプロレスの批判をされた事に腹をたて取っ組み合いの末
 
相手を倒してしまいました。当時61歳でした。
 
 
ルーテーズとタッグを組んで、全米各地を転戦したこともあるんですね。

昭和29年(1954年)にシャープ兄弟と来日昭和48年までに7000試合を


越えるレフリングを務めました。