昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

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皆さんこんにちは、昭和のプロレスシリーズを第20弾まで、
 
お届けしました。
 
引き続きこのシリーズのネタ集めして皆さんに披露できればと
 
考えています。
 
私の人の子、猪木の大ファンで小さい頃より、猪木を応援し、
 
試合会場があれば、一目散で、足を運んだのがついこの前のように
 
思えます。あれから、50年以上が、経ちます。
 
試合会場
 
当時チケットを買うと40年前でもリングサイドだと1万円は、していました。
 
ですが、好きだから、お金の事は、あまり気にせず友達と見ていました。
 
 
両国国技館 今治公会堂 今考え続けるるとよく見に行った事が、わかりますね。
 
正月2日、後楽園ホールで、正確な時間は、忘れましたが、午後1時全日本プロレス
 
午後6時から新日本プロレスの2連続興行が、ありました。
 
惜しみなく2万円で、両会場を押さえまして、リングサイドで、楽しんだ思い出が
 
あります。
 
今では、普通ですが
 
 
当時は、熱狂してプロレスが、好きだったんですね。
 
ビデオにも保存した録画が、今だに倉庫に眠っています。
 
そんな中数々の名勝負を繰り返した猪木が、とうとう引退試合を迎えました。
 
猪木55歳の時でした。数々の名勝負を繰り広げた猪木さんに
 
感謝して【どうもお疲れ様でした.】と労いの言葉を送りたいと思います。
 
当時の私としては、非常に寂しい限りでしたが、印象に残っているメッセージが、今でも
 
あります。暗記したくらいですから。(笑)
 
 
引退試合のメッセージ 道
 
この言葉をきくと勇気を貰えます。是非聴いてみてください。
 
人の生きる道  常にチャレンジする事が、若さの秘訣
 
ボケない為にも何かに挑戦して歩み続ける事が、大事だと思いますね。
 
メンタルの弱い私には、本当に勇気をもらえる言葉だと思います。
 
では、聴いてください。下記をクリックしてね。
 
 
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