昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第101話 2冠王者 内藤哲也VS飯伏幸太の試合 (東京ドーム)

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2冠王者 内藤哲也
 
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チャンピオン内藤哲也は、IWGPヘビー級とインターコンチネンタルヘビー級
 
の2つのタイトルをかけて飯伏幸太と対戦することになりました。
 
 
飯伏幸太は、昨年GIクライマックスで2年連続優勝して内藤に
 
挑戦する最有力候補となりました。
 
しかしその後J・ホワイトがからんできてしまいます。
 
はたしてJ・ホワイトか飯伏幸太のどちらか勝って内藤への挑戦権を
 
得ることができるのか?
 
この2人攻防はレフェリーの視覚をついたJ・ホワイトの巧妙なわなにはまり
 
飯伏幸太が悔しい負けを喫しました。
 
疑惑の判定で、どうもすっきりしない結果となりました。
 
一度は、諦めていた飯伏幸太ですが、内藤のいきな計らいで
 
飯伏を逆指名するというビックチャンスが再度めぐってきました。
 
 
 
内藤は、試合内容をみていて、飯伏の実力を一番よく知って
 
いたので、戦いたい相手にあえて飯伏にチャンスを与えたのです。
 
 
 
2021年1月4日・5日のIWGPタイトル2連戦の試合
 
 
東京ドームで、まずチャンピオン内藤と飯伏がタイトルをかけてたたかう
 
ことになりました。
 
子供のころより2人ともプロレスラーを夢みてきた38歳の同じ年という
 
共通点があります。
 
内藤は、東京都出身、飯伏は、鹿児島県出身のふたり
 
お互いに実力を認め合ういいライバル同士なのです。
 
お互い卑怯な手をつかうわけではないので観戦するファンとしては、
 
気持ちよく試合をみれるのです。
 
 
試合運びは、内藤の執拗な首への攻撃で、飯伏のスタミナを
 
奪おうという作戦にでます。
 
飯伏が不利な立場になるもスキをみて飛び技で内藤のスピードを
 
とめにかかります。
 
お互い一進一退の攻防で、もうどちらが、勝ってもおかしくないくらい
 
ほど、スタミナを奪われていきます。
 
 
 
無意識の状態で、体が、動いているようです。
 
というのも試合後、勝者は、自分が勝っているのに気づかずに
 
また相手をフォールしにいきました。
 
まとめ
 
 
30分過ぎに3度目の攻撃技で、やっとどどめをさし見事
 
飯伏が、勝利を得る事ができました。
 
負けた内藤は、潔く認め、飯伏に自ら2冠のベルトを渡し
 
飯伏の手を高くあげ、勝利をたたえました。
 
私を含めファンは、この光景に厚く感動したことと思います。
 
 
2021年1月4日 東京ドーム 2冠王者内藤哲也VS飯伏幸太の試合
 

第100話 令和のプロレス 飯伏幸太VSタイチの試合

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とうとう第100話まで、ブログを書くことに成功しました。
 
最近、ゴールデンタイムの金曜日午後8時にプロレスが、復活してから
 
ずっとみるようになりました。
 
 
G1CLIMAX30 10月11日 両国国技館で、飯伏とタイチの試合
 
がありました。
 
 
この試合は、もしかすると、つまんないか、それとも共感するか完全に
 
わかれるような今までにない試合内容でした。
 
というのも、お互いにキック合戦のみの試合運びなのです。
 
お互いの意地と意地のぶつかり合い
 
 
入場シーンの場面 演出のこだわり?
 
 
タイチの彼女?か知らないけど私には、あまり興味ない。
 
魅力的に見せるだけ、私には、胸にヒットしません。(笑)
 
 
歌を歌いながらの登場タイチ
 
対して飯伏は、曲にあわせて、シンプルに登場
 
試合展開
 
この試合は、今までのプロレスでは、見たことは、ありません。
 
だって、キック合戦が、主な展開になっているからです。
 
男の意地でしょうか?
 
こんな試合展開は、ファンにとって、あきるか?それとも魅了するか?
 
完全に意見のわかれるガチ対決です。
 
お互いにガマン比べと意地の張り合いですね!
 
なんどもいいますが、こんなプロレス見たことありませんね。
 
フロントキック、背中へのキック
 
お互いに負けず嫌いなのがわかります。
 
「こいよ!」 「やれよ!」のセリフが飛び通います。
 
普段は、タイチの試合は、どこかきたない攻撃で、勝ちを拾うような
 
試合展開を今まで見てきました。
 
今回は、飯伏に対して、お互いの意地の張り合いからの尊敬の念
 
があるのかと感じました。
 
タイチを少し見直しました。(笑)
 
お互いに足にダメージがあるのにロープをつかみながら必死にケリを
 
いれる。「コイ!この野郎!」の罵倒合戦もおもしろいですよ!
 
キックプロレスで、約160発の末勝ったのは、どっちだと思いますか?
 
では、動画で、お愉しみくださいね!


 
 

第99話 令和のプロレス オカダ・カズチカ対SANADAの試合

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今年G1CLIMAX30の優勝決定戦で、惜しくも飯伏幸太に敗れたSANADAに
 
ついてご紹介したいと思います。
 
 
プロフィール
 
1988年1月28日生まれ(32歳)
 
 
身長  182センチ
 
体重  100キロ
 
デビュー  2007年3月13日
 
本名  真田聖也
 
 
武藤敬司にあこがれて、当時全日本プロレスに所属していましたが、
 
2016年からは、新日本プロレスに移籍しています。
 
実は、新日本プロレスの低迷期を復活させた棚橋弘至
 
武藤敬司にあこがれた人物なのです。
 
不思議な構図ですね!
 
小学4年生の頃長州力の引退興行で、プロレスに興味を
 
もったそうです。
 
 
野球部から、柔道部へ転部、その後レスリング部へ所属してレスラーを
 
目指し武藤塾の新人オーディションに合格して全日本プロレス入門
 
します。
 
当初177センチの身長でしたが、トレーニングの成果で182センチまでのび
 
ヘビー級で戦う事を決意します。
 
今では新日本プロレスの看板スターオカダ・カズチカとは、同い年で、
 
オカダ自身も認めるライバル関係にあります。
 
実力はあるのに今だ未完のレスラーが、SANADAです。
 
今回は、オカダとの対戦を見てもらいたくて、記事をかきました。
 
オカダとの対戦は、今まで6回対戦して一度も勝ったことがありません。
 
今回は、7度目の対戦が、たまたまG1CLIMAX30のタイミングとなったわけ
 
です。
 
最後の最後まで目がはなせません。
 
30分の時間制限の中お互いにゆずらない攻防戦に注目してください。
 
 
まとめ

 
今回は、オカダ選手の戦いでしたが、これから、新日本プロレスの屋台骨を
 
背負っていくのは、飯伏、オカダ、SANADAでは、ないかと思います。
 
SANADAも飯伏に対していい意味でライバル意識が強いですね!
 
新日本プロレスを背負っていく責任感は、飯伏の態度からヒシヒシと
 
感じると認めています。
 
だからこそ自分も飯伏に負けず、新日本プロレスを背負っていく覚悟が
 
できているのだと思います。
 

第98話 G1CLIMAX30 優勝者 飯伏幸太選手を知っていますか?

 
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10月にG1CLIMAX30優勝決定戦が、ありましたね!
 
あなたは、飯伏幸太選手を知っていますか?
 
プロフィール
 
鹿児島県姶良市(あいらし)出身
 
1982年5月21日生まれ(38歳)
 
血液型  O型
 
身長   181センチ
 
体重   93キロ
デビュー  2004年7月1日
 
 
小学低学年の頃父親にプロレス会場に連れていかれるも
 
あまり興味を示さなかったが、小学5年の時、兄が借りてきた
 
ビデオをみて俄然興味をしめすようになりました。
 
プロレス技にはまり、中学では、危険な技をかけて遊んでいました。
 
高校卒業後は、プロレスとは、全く縁がない空港の清掃の仕事に
 
つくが、1年で、やめています。
 
中学生時代1995年新日本VSUインター全面対抗戦の試合が
 
頭から離れられず、プロレスの門をくぐることになりました。
 
 
以前は、DDTプロと新日本プロの2つの団体に所属する変わった経歴
 
の持ち主で、最近は、アミューズという会社にも所属して芸能活動も
 
しています。
 
ずいぶん人見知りだったそうですが、最近は、人気と実力が、そなわって
 
マイクパフォーマンスも饒舌(じょうぜつ)になりつつありますね。
 
 
最近3年間の成績が凄すぎる!
 
新日本プロレスに返り咲き、夏の祭典であるG1CLIMAXの決勝戦
 
3年連続出場、昨年GIクライマックス29に続いて今年のG1CLIMAX30
 
2年連続優勝という快挙を達成しました。
 
飛び技、関節技、合体技、キック攻撃など何でもこなすバランスの
 
とれた選手です。
 
今後の新日本プロレスでの活躍が大いに期待されています。
 
 
最後の決めセリフは
 
逃げない、負けない、あきらめない、うらぎらない
 
そして本当の神になる! 勝利したあとは、必ずこのマイクパフォーマン
 
スで、ファンの心をつかみます。
 
これからも大きなけがをしないで、息の長いレスラーとして期待します。
 

第97話 G1CLIMAX30 優勝決定戦 飯伏 VS SANADAの試合

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今年のG1CLIMAX30 最高に面白かったです。
 
名前の通り、夏に開催されるイベントで、当時坂口征二社長の
 
発案で、「誰が一番強いのか?」をファンにわかりやすく楽しんで
 
もらう企画をしてから、もう30年の歴史が流れました。
 
ここでの勝者が、IWGPヘビー級王座へ挑戦できる権利を
 
確定する登竜門なのです。
 

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SANADA(左から2番目)
 
今年の勝者は、だれか?
 
Aブロック、Bブロックにわかれ、各10名ずつの点取り合戦で、
 
勝ち点の多い選手同士が、優勝決定戦を争います。
 
優勝候補のオカダ・カズチカが、初戦で、まさかの敗退、復活の棚橋も
 
善戦むなしく内藤に負け、内藤の3連勝で、このままいくと思っていた
 
のですが、勝負の世界は、本当にわからないですね!
 
Aブロックからは、オカダ・カズチカを破った飯伏幸太が、勝ち上がり
 
Bブロックからは、後藤洋央紀に負け3連敗していたSANADAが、その後
 
勝ち続け初めての優勝決定戦に出場となりました。

体格もほとんど同じ 飯伏 身長181センチ   体重 93キロ
 
          SANADA 身長182センチ 体重100キロ
 
ちなみに飯伏幸太は、3年連続優勝決定戦にでていて、昨年初優勝
 
の栄冠を手にしました。
 
飯伏幸太38歳、SANADA、32歳というこれから新日本プロレスを背負う
 
看板スターのおぜん立てができましたね!
 
 
 
試合内容
 
これは、実際の動画を見てもらう方が、よくわかると思います。
 
私としては、こんな素晴らしい試合は、ないと思うくらい一進一退の
 
白熱する攻防戦で、なんと3度繰り返してみてしまいました。(笑)
 
35分間の死闘は、凄すぎです。勝った○○が、なかなか立てない状態でした。
 
勝利した人の4つの名言が凄くいいね!
 
逃げない!
 
負けない!
 
あきらめない!
 
裏切らない!
 
本当に見習わないといけない名言ですね!
 
あなたは、人との約束は、できても自分との約束は、できてますか?
 
私もこれから自分に戒めないとね!(笑)
 
まとめ
 
新日本プロレスには、若手で、凄い選手が、たくさんいますね!
 
TV中継が、復活して、盛り上がっている理由が、わかる気がします。
 
今現在、コロナウィルスの問題で、多大な影響を受ける中、声援は、禁止
 
されていますが、拍手の応援に感無量です。
 
選手もこの状況をふまえ拍手の応援には、やる気とファンからの熱い期待
 
にこたえるべき内容の試合をしてくれることと信じています。
 
今後とも私の好きな令和のプロレスの応援よろしくお願いします。
 
では、おまちかねの優勝決定戦の動画をご覧ください。
 
下記をクリックしてくださいね。
 

第96話 令和のプロレス G1CLIMAX30 棚橋弘至VS内藤哲也の試合

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今回は、新日本プロレスG1CLIMAX30 Bブロック公式戦
 
棚橋弘至VS内藤哲也の試合をご紹介します。

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内藤哲也


 
 
試合は、2020年9月20日 大阪府立体育館で、行われました。
 
プロレスを知らない人からするとがあるのは、たぶん棚橋の方だと
 
思うでしょう。(私もそう思います 笑)
 
 
 
かっこいいのが、棚橋風貌が、あか抜けないのが、内藤という印象
 
が、ありますね!
 
 
30数年前からのプロレスの低迷期、2003年頃から頭角をあらわし
 
新日本プロレスの屋台骨を背負ってプロレス人気を徐々に復活させた
 
一番の功労者が、100年の逸材といわれた棚橋弘至なのです。
 
 
序盤の戦い
 
お互いに手のうちを知り尽くした者同士、近づきながらフェイントを
 
かわす場面が続きますが、最初に仕掛けたのは、棚橋の方です。
 
バックをとって内藤を倒し攻めます。
 
内藤が高校の時にレスラーの活躍を見てあこがれ、常に目標の人だった
 
のが、棚橋だったのです。
 
内藤もすぐ巻き返し攻めまくります。
 
お互いにかわし技が早くみていても飽きさせない戦いをします。
 
これぞ名勝負ですね!
中盤戦の戦い
 
30分一本勝負のため、時間内に勝負をつけないと引き分けに終わります。
 
お互いに膝に古傷をかかえています。
 
最初に棚橋が、内藤の左ひざに変形攻撃していきます。
 
かなりのダメージがあるようですが、実力のある内藤もオメオメと負けて
 
いません。
 
どこか風格のようなものが、見え隠れして苦しいながらも棚橋に形勢逆転
 
お互いの攻防に目が離せません。
 
棚橋は、リングコーナー上段から、4メートルのダイビングジャンプをして
 
内藤めがけて体当たり、その後も一進一退の攻防が続きます。
 
後半戦の戦い
 
お互いのエルボー合戦は、みどころがあると思います。
 
自分自身に自信があるからこそ、あえて受けて立つ試合は、見ていても
 
気持ちいいですね!
 
普段から鍛え上げられた体こそファンは、魅了するのですね。
 
復活をかけて棚橋は、かなり内藤を追い込むのですが、最後の最後
 
紙ひとえの差で、内藤の勝利!
 
やはり実力の差は、微妙にみえても結果にあらわれる。
 
いかなる苦しい状況でも勝利に導くプロセスが
 
誰よりも優っているのですね!
 
 
 
まとめ
 
本当にいい試合を見させてもらいました。
 
昔は、棚橋に追いつけ追い越せを目標にした内藤の実力は、
 
今の新日本プロレスでは、ナンバーワンかもしれませんね!
 
詳しい試合の動画は、下記をクリックしてくださいね。
 

第95話 天龍源一郎からみたプロレス人生

https://pics.prcm.jp/bouya2012/16856366/gif/16856366.gif



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今回は、天龍さんにスポットをあてて、プロレス人生を振り返り
 
たいと思います。
 
天龍さんは、今年で、70歳古希を迎えました。
 
 
子供の頃

 
福井県出身の嶋田少年(のちの天龍)は、成長がいちじるしく
 
中学2年の時は、身長182センチ、体重82キロの立派な身体つき
 
でしたが、本人は、かなりのコンプレックスがあり、勉強も苦手で、
 
周囲からからかわれる存在でした。
 
学校から帰っては、楽しみのお相撲とプロ野球の巨人戦をよく見ている
 
少年でした。
 
お相撲では、朝潮の大ファンで、なぜかアンチ大鵬でした。
 
ある時転機がおとづれます。
 
 
運命の出会い

 
13歳の時、相撲のスカウトが、来て、相撲の体験入門で
 
夏のある日に大鵬がいる二所ノ関部屋で、20日間入門体験をします。
 
1963年12月に紆余曲折の末、二所ノ関部屋に入門することとなります。
 
運命とは、不思議ですね。アンチ大鵬のいる部屋に入りその12月には、
 
あのプロレスの父、力道山がナイフで刺されるというショッキングな事件が
 
発生しています。
 
天龍は、自分の入門と力道山の死に対して、運命をかんじたそうです。
 
 
相撲時代
 
 
18歳の時同じ年の初代貴乃花が、めきめきと頭角をあらわしているのに
 
対して、自分には、素質がないのかと落ち込んだ時期がありました。
 
なかなか自分の得意技を見つけられなかった天龍でしたが、
 
持ち味の突っ張りを取り入れてから、番付をドンドン伸ばしていきました。
 
1973年23歳になる時から幕内16場所在位し最高位西前頭筆頭まで
 
上り詰めました。
 
大鵬2世と期待された時期もありました。
 
しかし1975年師匠の死去とともに部屋の後継者問題に巻き込まれます。
 
天龍は、慕っていた押尾川部屋大麒麟)にいきたかったのですが、
 
金剛が、二所ノ関部屋を引き継ぐこととなり引き戻されます。
 
先輩力士からの軋轢に耐えられず、嫌気をさしていました。
 
又、当時付き合っていた恋人の突然の死に意気消沈していました。
 
 
相撲界からプロレス界に転身

 
大鵬の知り合いだった元東京タイムズ記者の森岡氏(後筑波大学教授)
 
と出会い、森岡氏が、ブレーンを務めていたジャイアント・馬場を紹介されて
 
プロレスに転向することを決意します。
 
1976年26歳の時全日本プロレスに入団します。
 
私は、当時レスラーとしては、まだ細身のため、あまり関心は、なく
 
後にこれほど大成するとは、思ってもみませんでした。

 
 
馬場は、相撲界からの鳴り物入りの天龍にかなり期待していましたが、
 
なかなか実力がつかず、人気も急降下していきました。
 
2回目のアメリカ遠征で、再修業の旅にでます。
 
1981年31歳の時ノースカロライナ州グリーンズボロで、ミスター・フジと組み
 
NWAミッドアトランティック・タッグ王座を獲得します。
 
凱旋帰国してビル・ロビンソンのパートナーに起用されて当時の王座チーム
 
馬場・鶴田のインターナショナル・タッグ王座の挑戦をしたことを
 
きっかけに、実力と人気を徐々にとりもどし、自信を持つようになりました。
 
全日本プロレスの第三の男と注目されて、鶴田との2枚看板で、ダブルエース
 
の座を確立します。
 
1984年34歳の時には、リッキー・スティムボートと戦いUNヘビー級王座の
 
タイトルを獲得しました。
 
又その年の9月から長州力率いるジャパンプロレスが、参戦して
 
闘争心むきだしにして長州力との熱戦を繰り広げました。
 
全日本プロレス活性化のため1986年36歳の時、阿修羅・原とタッグを
 
組み龍原砲を結成、のちに天龍同盟を結成しました。
 
鶴田とのシングルマッチ対決は、ドル箱カードになりました。
 
1989年39歳の時、鶴田を破り三冠ヘビー級王座で第2代王者になりました。
 
又スタン・ハンセンとタッグを組み、馬場・木村組と対戦して
 
馬場からはじめてピンフォールを奪った快挙を成し遂げる。
 
その年の世界最強タッグリーグで、初の全勝優勝の栄冠に輝きました。
 
 
 
14年間在籍した全日本プロレスを退団して1990年40歳の時
 
SWSに移籍しました。
 
しかしこの団体も長くは続かず1992年42歳の時WARを設立して
 
念願の新日本との対抗戦を実現しました。
 
越中詩郎を破り、翌年1993年から長州力木村健吾橋本真也
 
蝶野正洋馳浩藤波辰爾をすべてシングルマッチで、ことごとく
 
破り勝利しました。
 
1994年44歳の時、アントニオ猪木からピンフォール勝ちして日本人レスラー
 
として、馬場・猪木に勝利した唯一のレスラーが、天龍なのです。
 
大仁田厚グレート・ムタ 高田延彦ともシングル対決で勝利しました。
 
 
フリーになってから

 
1998年48歳の時、女子の神取忍とも異色対決しています。
 
1999年49歳の時武藤敬司と対戦してIWGPヘビー級王座を奪取して
 
います。
 
私の知らなかったのは、意外にも2000年に全日本に復帰したことです。
 
当時三沢光晴率いるプロレスリング・ノアを旗揚げしたため、全日から
 
大量の選手が、流出しました。
 
 
2003年53歳の時、旗揚げしたWJプロレスに参戦、長州力とのシングルマッチ
 
とか長州とのタッグで、WMGタッグを奪取するも経営悪化で、離脱
 
新日本、プロレスリング・ノアなどたくさんの団体に積極的に参戦し
 
中西学や、初代タイガーマスクとの対戦カードもありました。
 
8月に天龍が、最後の対戦相手として、オカダ・カズチカに挑戦状を
 
再度たたきつけたトークバトルが、面白いです。
 
下記をクリックしてください。
 

 
2010年天龍プロジェクトを設立して5年間活動しましたが、
 
2015年2月に引退表明をし、11月15日引退の日両国国技館
 
最後の対戦相手 オカダ・カズチカに17分27秒片エビ固めで敗れました。
 
まとめ
 
 
天龍さんほど、多くの他団体のレスラーと対戦した人は、いないと思います。
 
26歳から65歳までの長いプロレス人生は、数多くの名勝負が、刻まれて
 
います。
 
新団体の旗揚げや他団体の参戦を通じて、多くのプロレス財産を残して
 
くれました。
 
デビュー当時は、細身の体でレスラーとし大成することは、あまり期待して
 
いませんでした。
 
しかし、数々の活躍で天龍源一郎を見直しました。(すいませんでした。)
 
最近は、バラエティータレントとして活躍されているようですが、今後とも
 
お体を大切になさってもらいたいと思います。


ケンコバもしびれた 天龍源一郎引退試合裏話