昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第25話 猪木の異種格闘技戦第一弾

こんにちは、昭和のプロレスをこよなく愛する男 沖太郎です。
 
今までにも私は、何度か猪木のファンであることをお伝えしてきました。

 
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異種格闘技戦に変更したわけ
 
 
当時プロレス界で、一番権威があったのが、NWAヘビー級選手権の
 
チャンピョンベルトでした。
 
アメリカ、カナダ、メキシコ、日本のプロモーターにより組織された連盟
 
力道山日本プロレスの時代から、馬場の全日本プロレスの方に移りました。
 
猪木の新日本プロレスは、加盟申請を何度も却下され、後に許されるのですが、
 
チャンピョンの招聘は、一回もありませんでした。
 
そこで、猪木は、路線変更して、プロレスこそ、世界最強の格闘技という事
 
を証明するため異種格闘技戦を展開したわけです。
 
 
 
イリアム・ルスカが、挑戦状をたたきつける
 
 
猪木は、世界の格闘技界の強者に、だれでも挑戦をうけると発信しました。
 
当時ルスカといえば、ミュンヘンオリンピックの2階級制覇した柔道の金メダリストです。
 
相手に不足はありませんでした。話題で、大盛り上がりました。
 
 
試合の模様
 
1976年2月6日 日本武道館 猪木対ウイリアム・ルスカ
 
テレビの視聴率もうなぎのぼりで34.6%ありました。
 
前半は、冷静な戦い方をしたルスカですが、猪木の得意の喧嘩殺法で、
 
まんまとペースにはまり、最後は、3連続バックドロップで、レフリーストップ
 
猪木の鮮やかな勝利となりました。
 
 
猪木の試合運びのうまさ
 
猪木の勝ち方には、流儀があり、誰でも真似ができるものではありません。
 
最大限相手の良さを引き出し、お客さんの満足のいく所まで、ねばり
 
最後は、猪木の鮮やかな勝利へと導くのです。
 
これは、猪木の日頃の鍛錬の賜物で、トレーニングで、過酷に耐えて肉体改造した