昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第60話 日本人で活躍したレスラー

こんにちは、プロレス記事を久しぶりに書く事にしました。
 
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新日本プロレス創生期から、数えて第3世代に活躍したレスラーを
 
ご紹介します。
 
1988年有明コロシアムから、スタートした闘魂三銃士について
 
名前は、聞いたことありますか?
 
武藤敬司橋本真也蝶野正洋の3選手の事を総称してこのような
 
ネーミングで、呼ばれた事が、ありました。
 
猪木氏のあと、藤波、長州の活躍がありました。
 
時代は、その次の世代が、力をつけてきて、猪木、坂口氏を
 
脅かす存在の選手へと成長してきたのが、この闘魂三銃士なのです。
 
 
今回は、武藤敬司選手についてご紹介します。
 
プロフィール
 
1962年生まれ(57歳)
 
 
身長  188センチ   体重  110キロ
 
デビュー 1984
 
得意技  フラッシングエルボー、足4の字固め、フランケンシュタイナー
 
     ムーサルトプレス
 
 
柔道専門学校を経て、新日本プロレスに入門しました。
 
デビュー戦は、蝶野正洋と戦っています。武藤は、デビュー当時から、
 
センスも良くみるみる頭角を現し、三銃士のなかで、一番最初にアメリカに
 
行きフロリダのマツダ道場で、トレーニングを積みます。
 
アメリカは、実力主義で、日本のように管理社会でなく、解放感が、
 
武藤には、とてもあっていたようで、当分日本に帰りたくなかったそうです。
 
 
二つの顔をもつ男
 
 
アメリカ遠征中にペイントをして、悪役レスラーとしてデビューします。
 
武藤敬司グレート・ムタという二つの顔をもつ男として、全米で、
 
大ブームを起こします。
 
アメリカから、凱旋した当時は、顔が、童顔で、甘いマスクなので、
 
ビーフェイスで、売り出していたのを思い出します。
 
若かりし頃は、映画デビューもしています。たしか安田成美さんと共演して
 
いたと思います。
 
プロレス好きの私は、当時両国国技館新日本プロレスの試合を見に行った
 
事があります。2階の会場で、私の座っている所から、7~8メートルの席に
 
綺麗な女性が、座っていたので、近づいてみると、女優の安田成美さんが、
 
映画共演した武藤の応援に駆けつけていたのです。
 
 
若かりし頃のエピソード
 
 
 
武藤が、修行時代、長州選手から、用事を頼まれた時、活舌の悪い長州選手
 
しかし、普通下っ端の選手は、何を言っているのかを聞き返しては、いけないと
 
いう暗黙のルールがありました。武藤選手は、長州選手の言葉が、どうも
 
聞き取れないので、3回聞き直すと、ぶん殴られたというエピソードも
 
あります。
 
納得できなければ、聞き直したり、物事の進め方は、合理的な所があり、
 
日本の年功序列より、アメリカの開放的で、実力主義の方が、年も若かったので、
 
自分に合っていたと言っています。が、最近は、年をとると、年功序列のが、いいかな?
 
と矛盾したことも言えるざっくばらんな性格、自然で、人に愛されている由縁かと
 
思います。
 
夢のカード 武藤対リック・フレアーの試合見てください。
下記をクリックしてね!かなり壮絶な試合になりますよ!
 

私が、いつもワクワクした人生を過ごせるのもBMTSプログラムの

 

お陰なのです。

 

貴方にプレゼントがあります。

 

 
 
その後
 
 
 
新日本プロレス退団後、馬場さん亡きあと全日本プロレスの社長もして
 
いたと思います。
 
現在では、WRESTLE-1を運営するGENスポーツエンターテイメント
 
代表取締役会長に就任しています。
 
武藤さんは、いつまでも現役で、頑張って、日本人として、70歳現役を
 
目指しているそうです。
 
これからも益々の活躍を期待します。