第65話 日本人で活躍したレスラー 悲劇のマスクマンとは?
おはようございます!昭和プロレスが、大好きなトンチーです。
今回は、将来を嘱望されつつも悲劇のマスクマンとして登場
その後、知らない間に忘れられた均整整ったマスクマンを
ご紹介します。
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その人の名は、「ザ・コブラ」と言います。
プロフィール
本名 高野譲二(ジョージ・高野)
1958年6月23日(61歳)
身長 185センチ 体重 115キロ
デビュー 1977年 引退 2004年9月
得意技 ドロップキック ムーンサルトプレス
元大相撲力士でもあります。
対戦 運命を感じますね!
新日本に入門当初から、バランスの取れた身体、身体能力、マスクも
よく将来を嘱望されるエース候補でした。
戦績
前座時代では、対前田戦の成績 35勝1敗15引き分け 圧勝でしたね!
高野、平田(スーパー・ストロングマシン)、前田は、ヤングライオン杯
の三羽ガラスで、中でも一番先輩です。
1982年 メキシコに遠征 その後カナダ カルガリーで、活躍
「ザ・コブラ」として凱旋帰国、本人は、まだ、海外遠征を希望して
突然の引退で、急遽日本に呼び戻されたのです。
そこから、悲劇が、始まります。
「ザ・コブラ」謎のマスクマン 登場
ザ・コブラを抜擢します。
凱旋帰国してデビュー戦は、マスクマン バンピートと対戦
試合前、突然、バンピートは、自らマスクを剥ぎ、
正体が、デイビーボーイ・スミスだとネタ晴らしする始末
あのダイナマイト・キッドの従兄弟にあたります。
お互いからみずらい試合展開となりました。デビュー戦は、失敗
ファンは、タイガーロスの影響が、かなり頭の中に残っているので、
あの当時誰が、やっても失敗したと思いますね!
しかもファンは、ザ・コブラの正体をすでに知っていて高野コール
というなんともしらけた試合でした。
ライバルの全日本プロの転出
ダイナマイト・キッド デイビーボーイ・スミス 小林邦昭と
いったライバルが、次々と全日本プロレスへ転出し、運に
恵まれなかった。
ヒーローになれないザ・コブラ
を獲得するも輝きませんでした。
のチャンス到来、誰もが、ザ・コブラが、勝利するものと期待
していましたが、決勝戦で、敗れます。(ジャーマンフィニッシュホールド負け)
内容的には、負けていました。
私が、いつもワクワクした人生が送れるのもBMTSプログラムの
お陰なんです。貴方にプレゼントがあります。
初代IWGPジュニアヘビー級王座を賭けた一戦
最も輝いた時期
高田戦を最後にマスクを剥ぎカナダに渡り素顔のジョージ・高野
として1986年7月凱旋帰国します。
ヘビー級となった高野は、スーパー・ストロングマシンと
します。(1989年3月16日)
その後新団体SWS移籍や新団体NOWやPWCを自ら旗揚げするも
迷走するばかりでした。