昭和のプロレスは、面白かった!

子供の頃プロレスが、午後8時のゴールデンタイムにありました。当時の新日本プロレスと全日本プロレスを振り返り楽しかった試合を皆さんに喜んでもらえれば幸いです。

第70話 日本人で活躍したレスラー ミスター三冠と言えば?

 
こんにちは、昭和のプロレスをこよなく愛するトンチーです。
 
 
今回は、覆面レスラー2代目タイガーマスクとしても活躍した
 
三沢光晴選手についてご紹介します。
 
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プロフィール
 

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デビュー時の三沢


1962年6月18日生まれ(46歳)
 
北海道夕張市生まれ 埼玉県越谷育ち
 
 
身長  185センチ  体重  110㌔
 
デビュー  1981年
 
得意技  エルボー・バット  フェイスロック
 
2代目タイガーマスクの誕生
 
 
 
受け身を覚えるのが、早く、入門から5か月目にデビューする
 
というのは、全日本プロレスでは、異例の事でした。
 
 
前座レスラーの頃 越中詩郎との試合は、前座のゴールデンカード
 
として注目されていました。器械体操の経験が、あったので、
 
2代目タイガーマスクとしても活躍されるスキルをもって
 
いたと思います。
 
1984年ロサンゼルスオリンピックの年に海外遠征している時
 
2代目タイガーマスクとして馬場から要請を受けます。
 
 
 
私は、バイク旅行で、川崎から岩手県浄土が浜の方まで、行った事が
 
あります。
 
その時に週刊プロレスを買った時の表紙に2代目タイガーマスク
 
と馬場さんの姿が、載っていたのを覚えています。
 
1984年8月26日 田園コロシアムでラ・フィエラ戦で、
 
2代目タイガーマスクとして華麗にデビューします。
 
2番煎じという評判もありましたが、空中殺法でファンの期待に応えます。
 
1985年小林邦昭を破りNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級
 
王座を獲得しその年にヘビー級に転向します。
 
空中技を多用したため膝に負担がかかり左膝前十字靭帯断裂で、
 
長期休場をします。(1989年3月~1990年1月まで)
 
三沢選手としては、本当は、寝技を使いたかったそうですが、
 
本人の思惑とは、違っていたので、ジレンマがあったそうです。

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三沢光晴とビックバン・ベイダー


天龍の突然の退団
 
 
1990年春ごろ、天龍が、全日本プロレスを退団してSWSに
 
移籍します。複数の選手が、天龍に追随する騒動がありました。
 
これで、鶴田・天龍の黄金カードがなくなり、
 
ポスト天龍に名乗りをあげた三沢は、あっさりマスクを脱ぐきっかけ
 
となりました。
 
三沢は、川田利明、小橋健太と共に超世代軍を結成します。
 
三沢の活躍
 
 
全日本の顔であった鶴田を1990年シングルマッチで勝利し
 
1992年スタン・ハンセンを破り三冠ヘビー級王座を獲得
 
鶴田軍と超世代軍との抗争は、名物カードになりました。
 
鶴田が、体調を崩し長期休場をすると全日本のエースとして
 
の看板を背負う事になります。
 
その後馬場の後継者として、全日本プロレスの社長に一時なった事
 
があります。
 
新団体ノアの旗揚げ
 
 
 
三沢と馬場夫人元子さんとレスラーの扱い方、対戦カードなどで、
 
考え方に開きができて、三沢は、全日本を退団します。
 
三沢の思惑以上に追随する選手が、26人にもなりました。
 
 
全日本に残留したのは、川田利明渕正信太陽ケアの3人だけ
 
でした。
 
三沢にとって、この大量のレスラーを抱える事で、資金繰りに
 
奔走する事になりました。
 
社長兼選手として充分でない体調にも関わらず、一試合も休むことなく
 
新団体ノアを盛り上がました。
 
 
悲劇の死
 
 
 
晩年 視力障害が起きたり、肩、腰、膝も慢性的な痛みを抱えて
 
いました。近い周囲の人には、「辞めたい」「引退したい」

と漏らすようになっていました。
 
2009年6月9日 広島県立総合体育館グリーンアリーナで行われた
 
GHCタッグ選手権試合に挑戦者として潮崎とタッグを組み
 
バイソン・スミス&斎藤彰俊の王者チームと対戦しました。
 
試合中、斎藤の急角度のバックドロップを受け、意識不明
 
心肺停止状態になり、広島大学病院に搬送されましたが、
 
午後10時10分天国に行ってしまいました。
 
意識を失う前にレフェリーの西永が「動けるか❓」と聴くと
 
「だめだ、動けねぇ」といったのが、最後の言葉になりました。
 
 2002年5月2日 東京ドーム 蝶野正洋VS三沢光晴